SERIAL REPORT

左見右見

「アメリカン・パイ」

東日本大震災からちょうど半年。
直後の予感は的中して、今までの様々な被災地支援と同じように直後ほど関心がなくなっている。
政界の騒動が、阪神淡路大震災の後の地下鉄サリン事件ほど話題をさらわなかったとはいえ、
8月になっていわきから物資が足りなくなってきたと支援再開依頼が来た時には、
予感を信じて「後発隊として半年目の本格スタート」にして良かったなと思った。
そこへ、台風の被害だ。

9月1日の「防災の日」は1923年(大正12年)9月1日に発生した関東大震災にちなんで
1960年(昭和35年)に制定され、犠牲者の慰霊とともに、災害に備えて避難訓練や防災用品の点検などを促す目的がある。
今年は今回の台風を警戒しながらの「防災訓練」になったところも多かったらしい。

ところで、「二百十日(にひゃくとおか)」という雑節のひとつをご存知だろうか?
立春(2月4日ごろ)から数えて210日目という意で、毎年9月1日ごろにあたる。
現在のように台風の予測ができなかった時代から、
稲が開花するこの頃に農作物に甚大な影響を与える台風が襲来することが多いよと、
過去の経験から人々はこの日を厄日とし恐れて警戒していた。
「何か良くないことが起こる二百十日」の1923年(大正12年)9月1日に、関東大震災が発生した。

東日本大震災は2011年の3月11日に発生したが、1997年の3月11日には日本の茨城県東海村にある動燃再処理施設で爆発事故が発生し、
労働者37人が低レベルの放射線に被曝している。
1984年の3月11日に宮崎駿監督のアニメ映画『風の谷のナウシカ』が封切りされたのは、
偶然だったんだろうか?と穿っていたら、今回の地震は福島第一原子力発電所事故を誘発した。
1945年のこの日の東京は、前日10日のアメリカ軍による非戦闘員も狙った低高度・夜間・焼夷弾攻撃(東京大空襲)によって、
津波の後のように街が消えた焼け野原だったはずだ。

地震と台風は自然災害だけど、原発事故は人災だ。
戦争やテロも人災だ。

今年の夏は世界各地の暴動報道もあって、言葉遊びだと思って聞いてきた

Helter Skelter in a summer swelter
The birds flew off with a fallout shelter
Eight miles high and falling fast
It landed foul out on the grass
The players tried for a forward pass
With the jester on the sidelines in a cast

が、今は予言の呪文だったのかと思えて怖くなった僕なのに、
気がつくと「バイバイ、ミスアメリカンパイ」と口ずさんでいる。
犬のリード捌きやタバコのように習慣になっているのだろうか?
母語ではないことや、語呂の良さ・リズムの持つ雰囲気などの耳障りの影響って凄い。

今日、2011年9月11日は東日本大震災からちょうど半年でもあり、
ちょうど10年前の2001年9月11日は、ニューヨークがアメリカ同時多発テロ事件の現場となった日。
そうだ、あの日台風情報を見ていてトイレに行き、帰ってきたら画面が急に変わってたんだ。
年老いて足腰が弱っていた当時の愛犬がTVのリモコンを踏んで、映画かドラマのチャンネルに変わったのかと思ったっけ。
トイレ出発前と全く変わらない姿勢で寝息を立てている彼女に動いた形跡がなかったので、
僕はNYの世界貿易センタービルに飛行機が突っ込み爆発炎上している信じられないTV映像が間違いなく現実なんだと怖くなって、
眠る彼女に寄り添ってぬくもりを確かめながらTVを観続けた。

その瞬間まで、消えていった命全てが確かに日常を生きていたはずなんだ。

This'll be the day that I die(僕が死ぬなんてありえないと)

人災でもがき苦しみながら「ドリームボックス」で窒息死させられ、
もし偶然生き残っってしまえば仲間の遺体と共に焼き殺される収容犬猫たちもね。

忘れないために、過ちを繰り返さないために、終わらせるために、
毎月11日は NOHUG NOLIFE のオレンジバンダナを愛犬につけて、少し長いコースをゆっくりと散歩しようと思う。

抱きしめて欲しいのは、自然の驚異と人間の愚かさに震える僕だ。

とみこうみ(左見右見)
出来事を、あちらから見たりこちらからみたり、近くで見たり遠くから見たり、上からみたり下から見たりすること。
物事にはさまざまな側面があることに気付き、これでいいのだろうか?こうも考えられるのではないか?と、
多面的にものを見てブレながら試行錯誤するのは、独善的・独断的になることを回避できてとても健全なこと。
壁にぶつかったら、自分は正しい・自分はこうなんだ・自分はこれでいいのだと決めすぎた結果かもしれないと、
犬を育てながら気付けた時こそ、犬と共に育つスタートラインのような気がしてタイトルにした。

BACK NUMBER

© ALLEYES 2011 All right reserved.
inserted by FC2 system